音楽と数学と文様

透き通って硬質な、「仕組み」のある美しさ

「音楽」「数学」「文様」の間には深い関連性があると思っています。なのでそれらについて思うことを書いていく予定のブログ。
数学について、幾何学文様について、結晶構造について、アクセサリー作りその他いろいろものづくりについて、その他いろいろ、など。
とは言っても全然関係無さそうな好きな本のこととか日々のこととかもあれこれ書く予定です。自作アクセサリーの写真なんかもアップしてく予定です。
あと、大学は一応心理学系だったのでそういう話もいろいろ書きたいです。

人生のテーマが定まると、変な夢想が人生から消える

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このブログのタイトル「音楽と数学と文様」は、そのまま私が人生で探求したいテーマであります。

長い思考錯誤を経てこのテーマを言語化することができました。
そして言語化できたとき、私の傾向とか、好きで続けてきたことが全部繋がる感じでした。


子供の頃から理科系少女で、理科や数学が好きだったこと。割と「論理性」を重んじる子供だったこと。
でも、大学は心理学系に進んで、その勉強もとても面白かったこと。
子供の頃からちまちまとしたものづくりが好きで、フェルト小物やビーズアクセサリーや刺繍とか編み物とか何かしら作り続けていたこと。
IT業界に就職してシステム開発に従事し、今はBI、そして更にデータ分析系を目指していること。
絵画よりも文様が好きなこと。
色鉛筆とかビーズとか刺繍糸とか「カラーが豊富なアイテム」が好き、色彩好きなこと。


自分が自然にできてしまうこと、続けてきたこと、興味を惹かれること。
そういうものが全て「音楽と数学と文様」というテーマに収束しました。


そして、こんな風に「人生のテーマ」を言語化できたときから、私の人生の雑念・夢想が消えました。

それ以前はね、あったんですよ。大人になるにつれ減ってきていたとはいえ。
なんか「今の現実とは違う自分を夢想する時間」みたいなものが。

 

でも、人生で探求したいテーマが自分の中にビシッと定まったとき、本当にそういうものが無くなりました。
今は「今の自分ができることから積み上げていく」ことにしか興味がありません。
どこか遠くの、今の自分からかけ離れた「よき自分」のようなものを夢想することが全く無くなりました。


別にね、夢想が悪いことだとも思いませんよ。
ただやっぱり、そういう夢想がある頃の私はなんか満たされていなかったというか、いろんなことがしっくりこなかったというか、地に足がついていなかったというか。そんな気がしています。
そして、今の方が本当に幸福です。何て言うか、モタモタ迷ったりしなくて済む心地よさ。


えーと、今の私が「もっとこうなりたい。こうなろう」みたいな目標設定をしない、という意味ではありませんよ。
「今の現実からかけ離れて、そこに近づく道のりがサッパリ見えないような夢想をタラタラと続けることがなくなった」ということです。
目標設定をしたら、その目標に対して「今の自分ができること」をいつも考えられる、ということです。

 

ビジョンは全て、今の自分から地続き。
だから、一歩一歩みちっとしっかりと歩いていく。
そういう気持ちな訳なのです。
それが、「モタモタ迷ったりしなくて済む心地よさ」ということ。

 

何て言うか「今までやってきたことが全部このテーマに繋がっていたから、これから手をつけることもこのテーマに全て繋がる筈」みたいな妙な確信があったりします。
どこからくるんだこの自信、って自分でも思いますが…。
でも、そういう気持ちなのです。


そして現実問題として、夢想を繰り広げている暇が無い。
作りたいもののストックはいつもあるし、アイディアいっぱいあるし、ブログだってもっと書きたいし、勉強したいこと山ほどあるし、読みたい本も山ほどあるし、勤め人としての仕事でも目標もたくさんあるし…、という感じで、変な夢想が人生に入り込む隙間がないのでした。

 

 

本当にね、大げさでなく。
このテーマを言語化できたとき「私が生まれた意味がわかった!」的な気持ちになりました。本当に。

 

「生まれた意味」なんていうものがあるのかないのか、その答えなんて誰にもわかりません。
「ある」っていう人もいるし、「ない」っていう人もいる。

でも、人間は「自分が生まれてきた意味」みたいなのをつい求めてしまう習性がある、っていのは事実だと思います。
(人によって、時代によって、地域によっても差があるとは思いますけど)


私は正直、「人生の意味」を求めていたという意識はあまりなくて、とにかく「自分が好きなこと・やりたいことはできるだけ実現する」というスタンスで生きてきました。


でも、それをやりつつ、かつ、自分がやることに対して都度あれこれ考察しているうちに、こんな風に人生のテーマを言語化することができました。

 

それを発見することは、自分の中にバシっと1本の軸が通るような感覚です。
「ああ、私はこうやってこの世界にちゃんと自分で立っている!」というような充足感。

 

そんな充足感は、やっぱりそれまで得られていなかったような気がします。
だからこそ「生まれてきた意味がわかった!」という気持ちになったのだと思います。

 


そして、その充足感があるから、このブログを書いています。
これからも、そのテーマにたどり着いたプロセスとか、そのテーマに沿って探求していることをいろいろ書こうと思います。


それが、世界に感謝する方法だと思うので。

 

 

ボードゲームとトランプから考える数字と記号の抽象性

さて、またまたボードゲームについての記事を書いてみようかと思います。


私が人生で最初に買ったボードゲーム(カードゲームですけど)はこれです。

 

ジャイプル 日本語版

ジャイプル 日本語版

 

 
なんでこのゲームが目に付いたかと言うと、私はジャイプールで作成されたジュエリーを持っているからなのでした。

私の知人に石とジュエリーを販売している方がおります。
その方は、仕入れた石を使ってジャイプールの職人さんにジュエリーを作ってもらっているのでした。
私も2つ程そのジュエリーを持っております。
↓これです

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左がラリマー、右がスギライトです。

 

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ああラリマーちゃんかわいい…

なんでこんな「海そのもの」のような石がこの世に存在するのでしょうか…。

自然不思議すぎ…。

 

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スギライトさんは、すっごく綺麗な紫なのですが、写真だとどうしても黒っぽくなってしまいます。すみません…。

石の写真を撮るのはむつかしいなあと改めて思った次第です。

 

とにかく、そんな訳で「ジャイプール」という街に親近感があったのでこのゲームが目に付きました。

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このゲームの魅力は、何と言ってもカードのイラストが美しいこと!
色好き・カラフル好きな私にはもうこのカードの美しさがたまりません。

 

特に、石好き人間の私にとってはこの辺りのカードがもう…(うっとり)

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トークンも綺麗!可愛い!

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2人対戦専用ゲームです。
商品を仕入れて販売して、それに応じて得点(ルピー)が得られます。
勝った方がマハラジャの専属商人になれるという設定。
割とシンプルなルールですが、駆け引き・戦略が要求されて面白いです。
ホントにボードゲームって頭使う…。

 

ちなみに、ジャイプールっていうのはこんな街。

ジャイプル - Wikipedia

 

ピンク色の建物が多く「ピンク・シティー」と呼ばれるそうなのですが、このゲームのパッケージの絵もちゃんと建物がピンク色になっていて、細かいところまで世界観が統一されていていいなあと思います。
ボードゲーム業界に足を踏み入れて「ボードゲームは世界観が大事!」ということをすごく感じました。世界観がしっかり構築されていると、そのゲームの世界に入り込みやすいのですよね。よりゲームに集中できるというか…。

そういう意味でもこのゲームは素敵です。

 

ジャイプールは宝石の集積地としても有名らしく、いろいろジュエリーブランドもあるそうです。
「アムラパリ」なんて素敵ですね。超好み。

 

そんなこんなで、完全に見た目から入ったゲームですが、やってみたら面白い!
なんか、ようやくボードゲームの面白さがわかってきたような…。
とかく「戦略を考える」ということがすごく大切なのですよねー。すごい頭の体操になります。

 

そしてこのゲームをやってみることによって、ボードゲームによく登場する「トークン」なるものにようやく馴染むことができたような気がしています。
トークンっていうのは、このゲームの場合は既に写真を載せたこれ↓です。

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なんか、ボードゲームにはこういう「カードと似てるんだけど違うパッと見役割がよくわかんないもの」みたいな道具が沢山出てきます。
ゲーム初心者の私は「はて?なにコレ?」とか思っちゃっていた訳なのですが、このゲームをじっくりやってみて、なんか違いがよくわかりました。

 

このゲームの場合は、

・カード:可能性
トークン:成果

みたいな感じです。

ゲームは、まずはカードが配られて、そのカードを交換したり集めたりして、最終的に集めたカードを「売る」ことでこのトークンが得られます。
で、このトークンがルピー(得点)として換算されて、その合計で勝敗が決まります。
カードをたくさん持ってるだけでは最終的には意味が無いのですよね。それをうまいこと売って、得点の高いトークンを集めることによって勝敗が決まる。
だから、カードは「可能性」で、トークンは「成果」。

 

この仕組みがわかって「なるほどー!うまくできた仕組みだなー」と思いました。
そしてようやく、ボードゲームにこういう細々としたあれやこれやが入っているのかが納得できた感じです。

(ここで言っている「可能性」「成果」はあくまでもこのゲームの場合の話です。ゲームによってカードやトークンの意味は異なりますのでその点ご了承ください。ただ、こういう「モノの役割」が論理的かつバランスが良いゲームが「いいゲーム」という評価を受けやすいのかなという気がします)

 

で、そんな風に「トークンの役割」に納得したとき、フーっと頭に子供の頃にやったトランプゲームのあれこれが浮かんできました。

そして、「そうか!トランプゲームっていうのはこの<可能性>も<成果>もカードだけで全部表してたんだ!」と気がつきました。

 

「可能性」も「成果」も同じカードだけで表現できちゃう。
改めて「トランプっていうのはすごいツールなのだ」と思ってしまいました。

 

そして、その「トランプの凄さ」、こんなにシンプルなツールでいろいろ表現ができちゃうのはなんでなんだろう…、ということを考えて、それは「トランプで使われている数字も記号も抽象性が高いものだからなんだ」ということに思い至りました。

 

多分、このジャイプールのルールって、トランプである程度再現可能だと思います。
(いずれそれを考えて記事にしようかと思います)
そして、それは多分トランプの構造ゆえ。「数字と記号という抽象度の高いものだけを使用して作られたツール」だから。

ここまで考えて「うわー!やっぱり私のブログのテーマに近い話題!」と思いました。

「数字」と「記号」

「音楽と数学と文様」に近い領域の話ですよー。きゃあこういう話題すきー。

 

えーと、例えば、ジャイプールのカードの商品をトランプの記号で表現するとしたら、

・ダイヤ=宝石
・スペード=金・銀(金属)
・ハート=布・革
・クローバー=スパイス

あたりで何となくそれっぽい感じがしそうではないですか。
そして、多分他のいろいろなゲームでもこういう置き換えはできる。

トランプのあの記号が、いかに「抽象度が高いものであるか」ということが、この辺りを想像してみることによって納得できる気がします。

 

トランプって、すごい優秀ツールなんですね。

子供の頃はそんなこと全く意識せずに遊んでいましたが、改めて「長い歴史を持つツール」ってすごいものなのだなー、あなどれないなーということを感じました。

 

…こういうことをつらつらと考えてみることがとても好きな私です

でも、こういうことを考えることは「数とは何か」「文様とは何か」「なぜ人間は文様を愛するのか」ということに繋がっていって、それはぜーんぶ私のものづくりにプラスになる。のです。

 

なんか、ボードゲームって改めて「いろいろなことを考えるきっかけをくれる素材だ」という気がしました。
なんて言うか「カバー領域が広い」ツールだという気がします。
数学的なアプローチもできるし、心理学的・文化人類学的なアプローチもできる。

きゃあすごい!

 

これからも、「ボードゲーム」というツールに対していろいろなアプローチで考察を重ねてみたいなあと思う夏の午後なのでありました。

頭使いますけどねー。
ふう。

 

 

ボードゲームと数学

長い期間更新できておらず申し訳ございませんでした。


更新していない間もものづくりや数学への情熱は衰えておらず、むしろそっちへの情熱が故に更新が滞っておりました(作ったり勉強したり)。
申し訳ございませんでした。


さて、未更新期間中に人生に新たな要素が加わりました。「ボードゲーム」です。
急にこんなご縁ができて自分でもびっくりしております。

 

ウィキペディア先生によると、ボードゲームとは「ボードゲーム(board game)とは、ボード(盤)上にコマやカードを置いたり、動かしたり、取り除いたりして遊ぶゲームの総称。盤上ゲーム盤上遊戯とも呼ばれる。」だそうです。まっ、そりゃそーですね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%89%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0


私はゲームにはあまり縁のない人生を送ってきました。


ファミコンとかプレステとか、そういうのを人生の中で購入した経験が全然なし。wiiにも触れたことがありません(なので未だにどういうものなのかよくわかっていない)。任天堂にもマリオにもサッパリ恩義なし!ドラクエとか、名前聞いたことあるだけで実際はどんなものなのかとか全く知りません。

 

パソコンに付属しているゲームもやらないし、パソコンにゲームをインストールしたことさえありません。本当に。
スマホのアプリ全盛時代になっても、辛うじて続いているのはツムツムくらいですかね…。とかく「ゲームに一生懸命になる」ということが人生で少なかったです。

なんか、ある程度ルールを把握してしまうと満足して「なるほどーそういう仕組みなのねー納得したわー」で終わってしまいます。

なかなか「クリアしよう」「もっと上手くなろう・強くなろう」「勝ちたい」という意欲が持てず「仕組み分かったら終わり」みたいなことが殆どでした。


そんな人間なので「ボートゲーム」という言葉を聞いたときも、正直思い浮かぶことがあまりありませんでした。


この言葉をはじめて聞いたとき(割と最近です)に思い浮かべたのが、子供の頃やってたトランプゲームと億万長者ゲームです。
なんか、ホントにそれくらいしか縁がなかったのです。

億万長者ゲームなつかしーなー!「ブダペスト」という都市の名前をこのゲームで覚えたよ…。
ただ、そういうゲームやってたのって、小学校の中盤くらいまでくらいだった気がする…。中学生以降くらいからは、ホントに人生の中に「ゲーム」という要素はすごく少なかった気がします…。

 

あと思い出したのは、囲碁と将棋でしょうか。
実は囲碁と将棋は子供の頃から興味があるのですが、あれは急にできるゲームではないですからね。楽しむ為にはそれ相応の修練が必要(ルールは把握してますが)。
そして、その修練を積むほどの情熱はなかった。本読んだり何か作ったりする方が圧倒的に好きでしたし。


そんな風に、ゲームというもの全般に縁が薄かった私の人生ですが、ここのところ急に「ボードゲーム」の世界にご縁ができてしまったのです。

そして一歩足を踏み入れてみると、そこには「子供の頃トランプとか億万長者ゲームとかやったくらいかなー」としか思わなかった私の想像を遥かに超える、広大かつディープ、マニアック世界が広がっていたのでした。


そもそもその数!ボードゲームってこんなにこの世界にあったの?
はじめて「イエローサブマリン(代表的なボードゲーム屋さんです)」に連れて行かれたとき、あまりの数の多さにびっくりしました。
特に海外製のゲーム!やたら大きめの箱のボードゲームが沢山あってびっくりしました。

 

そして数もさることながら、その華やかさにびっくりしました。やたらデザイン性があるパッケージの中に、本格的だったり可愛らしかったりする道具(コンポーネントと言うそうです)が沢山はいっていて、それらを見ているだけでなんだか楽しくなります。
ものづくりが生き甲斐なわたくしとしてはそういうものを見ると「うわーこれビーズで同じようなもの作れないかなー!ビーズで作ってマスコット化したらすごい楽しいかもー!」などと思ってしまいます。

それぞれのゲームのデザインやコンポーネントに、そのゲームの「世界観」のようなものが明確に現れていて、「あ、ボードゲームってこんなに奥が深い世界だったんだ。ルールと世界観と道具全部揃って一つの世界をまるごと提供している感じなんだなー。すごい精密かつディープな世界だなー」などと思ったものです。

ま、コンポーネント充実ゲームはやっぱりお値段が高くなりますけど…。

 

そして更に、ルールが奥深いゲームが多いこと!
ざっくりとしたルールを把握しただけで「うわーこれものすごく思考力使うよねーきっと。戦略が必要だ」と思えるゲーム多数。
大勢でわいわい騒ぐようなことがそんなに得意でもない私は、どちらかと言うとわいわい楽しめそうなパーティゲーム(そういうジャンルもあります)よりも、戦略が必要に思われるゲームが気になりました。


そんなこんなで、恐る恐るボードゲームの世界に足を踏み入れ、戦略が必要になるゲームをやってみた私の感想は…、

「なんか数学の世界に近いものを感じる!」

でした。


戦略を考えることはやっぱりどこか数学的思考力に近いような気がするし。
そして何と言っても、カードを引いたりサイコロを振る部分には「確率論」の匂いを感じます。
そもそも確率論はギャンブルの勝率を考えるところから生まれたと言いますし、ゲームとの親和性が高いのは当然のことです。
統計学勉強中の身としてはその「確率論の匂い」もとても気になります。
(ちなみに、ボードゲーム屋さんにはサイコロも沢山売られてますが、それを見るとどうしても統計学の参考書が浮かんでしまいます。だって確率論の話って絶対にサイコロが出てくるんですよ…。コイン投げとサイコロの話はこの手の教科書では鉄板)

 

そんな感想をボードゲームマニアの方にお伝えすると、「特に有名なゲームデザイナーの方が何人かいるんだけど、その中には数学の博士号持ってる人がいる」というお返事が…。

 

なんか、すごくわかる!
こういうゲームの設計できる人って数学的思考が発達してそう!

 

ちなみにその方は「ライナー・クニツィア」という方。ボードゲーム界の巨匠。この人のゲームはホントに沢山あります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%8B%E3%83%84%E3%82%A3%E3%82%A2

 

はあーそれにしても、やっぱりボードゲームと数学の親和性は高いような気がする。
もちろん、ゲームによってはどちらかと言うと文学的センスのようなものが大事だったり、記憶力とか瞬発力が重要だったりするような場合もあるとは思いますが、全般的に「戦略性が高い」ゲームは数学との親和性が高いのではないかという気がします。


全く思いがけず私の人生に新たに入り込んできた「ボードゲーム」という要素ですが、その要素はどうやらかなり数学との親和性が高いもののようです…。

 

やっぱり私は数学と縁があるんだわ!数学を勉強する運命なんだわ!

などと悦に入っております。

 


そんなこんなな日々なので、改めてこのブログに「ボードゲームと数学」というタグを設けて、ボードゲームに関する考察などを書いていこうと思っております。
本当は本格的にゲームの中のあれこれの確率計算考えるとか、そんな専門的に数学っぽいことを書けたらすごいですが、それはなかなか難易度が高く…。

 

とにかく、自分ができるレベルからゲームについての考察を書く事にチャレンジしてみようかと思います。
ものづくりに比べたら圧倒的にキャリアが短いのでどうなるかわかりませんけど…。

やれるとこまで頑張ってみますー。


そんな感じで、改めてブログ更新がんばりますですー。

 

 

モノに宿るココロ

アクセサリーとかのモノづくりがひたすらに好きな人生を歩んでいると、「モノは単なるモノではない」というようなことをつい考えてしまいます。
人が心を込めてモノを扱うとき、それは「単なるモノではない何事か」に変容する。
なんか、そんなようなことを思ったりします。


例えば、「飴玉1個を誰かにあげる・あるいは誰かから受け取る」とき、その行為をとても機械的に行うこともできるし、モノに心を託して行うこともできる。
そういう「扱い方の違い」によって、モノはだたのモノであり続けたり、モノを超えた何事かに変容したりする。
そんなような気がします。

 

1つの飴玉にだって、とっても沢山の思いが乗っけられているかもしれないのだ。
ねぎらいとか、「お疲れ様ー」的な気持ちとか、細やかないたわりとか、感謝とか、「頑張ってね」な心とか、あるいは時に「大好き!」な気持ちとか。
人は時に、たった1個の飴玉にそんな心を託して他者に手渡すことだってあるのだ。

 

そういう時、モノは単なるモノではなくなる。
「心が宿る何事か」になっている。


モノを「単なるモノ」にしているのは、モノ自体の話じゃなくて、人間の認識の話だ。
飴玉一個を「こんなのは単なるモノに過ぎない」と思うだけの人は、そこに託された沢山の思いや物語に気づくことができない。

 

「モノに宿るココロ」は、変な絵空事でも何でもない。人間の世界認識の話だ。
「モノをどう見るか」「モノをどう扱うか」によって、いっくらでもそこに心を宿すことができるのだ。

 


そして、アクセサリーを作ったりすることなんかはまさに「モノに心を託すこと」です。
過去記事で人様にプレゼントしたアクセサリーを紹介しましたが、その時はただ写真だけでなく、そのデザインのアクセサリーを作るに至ったプロセスを書きました。
「私はこんな風に心を託してアクセサリーを作っています」ということを表現したかったからです。

 


ものづくりの世界に深入りするようになってから、「モノに宿るココロ」ということについて以前よりずーっと深く考えるようになりました。
そして「他者が私に手渡してくれたあれこれに宿る心」にも、以前よりずっと敏感になったと思います。


モノ的には「飴玉一個」に過ぎないモノだったのだとしても、そこにはいろいろな思いが乗っけられているのかもしれない。
だから、たとえ飴玉一個でも、丁寧に受け取りたいと思うのです。

 

とは言っても「貴方はこれこれこういう気持ちで私にこの飴玉をくれたのですね!」とストレートに言えばいいってものではない。
あまりにもそのままの表現で言ってしまうといろんなものがぶち壊しになっちゃうことだってあるのだ。
それに、安易に言葉にしちゃうと、その言葉が相手の気持ちとずれていた時にはなんとも興醒めな感じになってしまう。
実は相手はホントに機械的に飴を配っていただけだった、というだってありうる。そういう時に勢い込んでなんかしゃべっても相手からすれば「は?」って感じだろう。
こういうことを言語化するというのは、言語表現的には相当高度なことなのだ。なんか比喩的な表現を使うとか、重くなりすぎないようにあえて茶化したような表現にしてみるとか。いずれにしてもこれは結構高度なコミュニケーションスキルだ。いつでもうまく行くという訳でもない。相手との関係性にもよるし。

 

でも、何とか、何となくでもいいから「私は貴方の思いやりを受け取りました」ということが伝わるように努力したい。
それは例えば「相手の目をしっかり見て受け取る」とかそういうことかも知れないし、受け取ったモノを丁寧に扱うとか、そんな感じのことかも知れない。
あるいは「あの時は嬉しかったです」とあえて別の時にお礼を言ってみるとか。
そういう小さなことにできるだけ手抜きをしないで生きていきたい。
モノづくりに関わる人間の責任として。

 

若い頃は、こういうことに全く鈍感だったと思います。
人の気持ちが見えず、沢山沢山の心をないがしろに扱ってしまっていたと思います。

 

きっと「私が望むような形で私に優しくしてください」という気持ちが強すぎたのだろうな。自分の心の中に独りよがりな「理想の関係」みたいな妄想を持ちすぎて、それから外れることはみんな切り捨てていた。

まあ、若い頃というのはそういう風になってしまうのはある程度は仕方ないことだと思うけれど。
でもそういう風に「自分の理想イメージ」にがんじがらめになってしまっていると、それと異なる形で表現される人の心に全く鈍感になってしまう。
それでは、人の心を受け取ることはできない。

 

段々と年を重ねてきて、まあそれ相応にいろいろな人間関係を経験して、そうやって少しずつがんじがらめから解放されてきたのだと思います。
だから、以前よりはずっと「いろいろな方法で表現される人の心」みたいなのに敏感になった。

 


とは言っても、いくつになってもやっぱりいろいろな失敗をしてしまうとは思います。

 

いろいろなことで疲れて消耗してしまっている時。

自分の中の不安とか心配とか怒りとかに心が囚われてしまっている時。

 

そういう「心に余裕が無い状態」の時は、とたんに「モノに宿る他者のココロ」が見えなくなってしまいます。
そしていろいろなことをないがしろに扱い、機械的な対応に終始してしまう。人の心が見えない。受け取れない。
少々年を重ねた今でも、やっぱりそんな風になってしまうことはたっくさんあります。
何しろ全然悟ってない人間なので。


でも、沢山失敗しながらも、少しずつでもいいから精度を高めていきたい。
「モノに宿るココロ」に敏感になる、ということをいつも意識して生きていたい。

 

モノに託されたココロをしっかりと認識して受け取れる人間でありたいよ。


モノづくりの道を生きていたいのであれば、やっぱりいつも自分にそういうことを課していなければいけないなーと思ったりします。
誰かが「モノに託したココロ」に鈍感なんでは、到底「ココロが宿ったモノ」を生み出すことはできまいよ。

 

だからいつも「モノに宿るココロ」に敏感であることを目標にしていたいなあーと思います。

誰かからモノを受け取る時も。誰かにモノを手渡す時も。

 

 

 

(ブログ更新できてない期間が長くてすみませんでした。なんかいろいろドタバタとしてまして…。更新頻度低めブログですが、でも細々とでも書き続けたいと思います…)

 

 

大阪の空

さて、1つ前の記事で宣言?した通り、ふたたびの大阪出張でございます。
と言っても、この記事は週末東京に帰ってきてから書いているのですが…。

 

金曜の夜に新幹線で帰ってきたのですが、新幹線の中で気分が悪くなってしまい大変でした…。
元々ものすごーく乗り物酔いしやすい体質なので、新幹線の中ではなるべくポーッと過ごすようにしていたのですが…。

その日は午後からずっと頭痛がしていたのもあって、乗っているうちにどんどん気分が悪くなり大変でした。

 

結局土曜日はぐったりと過ごしておりました。とほほ。
行きたかったイベントにも行けなかった…。残念。
新しい現場でいろいろ緊張していたのもあったかな。初日からもう仕事のプレッシャーてんこ盛りだったし。

 

ま、どうにか持ち直しまして、来週また大阪です。
連休中は東京にいる予定。


で、今大阪で勤務しているビルがこんなのです。じゃじゃーん!

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 このビルの28階のオフィスにいます。すげー眺めのとこです。

JR大阪駅のすぐそばの一等地!いやはやいろいろすげーです。
今回は外資系製薬会社の案件に入っているのですが、いやはやホントすごいとこにオフィス構えているなあー。


私はホントに小さな会社の社員なのですが、案件はこういう大きめ企業の場合が多いので、なんかオフィスがすごいことが多くて毎回びっくりします。
今回の28階とゆーのは最長不倒?だな。

 

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周りもビルばっかです。いやはやすげー。
モロ大阪の中心に勤務しております。

 

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東京でビルの隙間から眺める青空も好きだけど、大阪の空もいいね。


今回は短め出張になると思いますが、しばしこの空の下でキラキラと過ごしたいなあと思います。
(でもなんかお天気悪しな日が多いんだよなー。こんな風にキラーンと晴れて欲しい…)