音楽と数学と文様

透き通って硬質な、「仕組み」のある美しさ

「音楽」「数学」「文様」の間には深い関連性があると思っています。なのでそれらについて思うことを書いていく予定のブログ。
数学について、幾何学文様について、結晶構造について、アクセサリー作りその他いろいろものづくりについて、その他いろいろ、など。
とは言っても全然関係無さそうな好きな本のこととか日々のこととかもあれこれ書く予定です。自作アクセサリーの写真なんかもアップしてく予定です。
あと、大学は一応心理学系だったのでそういう話もいろいろ書きたいです。

目に見える音楽

「音楽と数学と文様」が人生の大きなテーマの1つである私にとって、ものすごーいバイブルになっているのがこの本。

 

イスラム芸術の幾何学 (アルケミスト双書)
ダウド・サットン
創元社
売り上げランキング: 30,138

名前がもうそのまんまですよね。
この本を書店で見つけた時はトリハダが立ちました。「私が探していた本を見つけたよー!」って気持ちでした。

アクセサリーを作る日々の中で実感してきた「アクセサリー作りは数学のようだ」という思い。
そのことは既に人類の歴史の中で実践され続けてきた事なんだ、ととても嬉しくなりました。


タイトルそのままに、この本では様々なイスラム幾何学文様と、その背後に潜む幾何学法則の解説が載っています。

荘厳で美しく、かつ極めて論理的なイスラム芸術の世界は本当に圧巻です。
それは決して出鱈目なものではなく、本当に厳密な幾何学法則に基づくものなのです。
その厳密さに感激します。
「私は数学的整合性がある世界が本当に好きなのだー」と自分で改めて実感しました。
そういうものづくり世界を私は探求したいのだ、と改めて思いました。


で、今回はこの本の中で私が大感激しまくった言葉をちょっと引用してみます。
もう100回くらい頷いちゃったよ、という文章たちです。

 

まずは1ページ目の「はじめに」から。
この文章だけでもうご飯三杯いけるよ、っていうくらいに感激しました。

---引用--------------------
宗教美術の役割は、その場を訪れた人々の霊的生活を支え、世界をどう理解すればよいか、世界の背後にある捉えにくい現実をどう把握すればよいかを教えることにある。伝統を担う職人たちは、いかにして物質を使って霊的世界を表現するかという課題に立ち向かう。世界中の壮麗な寺院、教会、モスクは、ただその目的のために傾注された努力の遺産であり、どれもそれぞれの宗教の霊的視点によって形づくられている。
---引用終わり--------------------

そうなんだよね、宗教美術というはただ美しさを追求するだけのものではないんだよね。
「人々の霊的生活を支え」るのが第一の目的なのだよね。ある意味、「美」というのはそれを探求した結果の副産物とも言えるのではないかと。
「美」は目的と言うよりも結果なんだよね。
目的を十分に達成した作品は自ずと美しい。そういう側面があるのではないかと。

「いかにして物質を使って霊的世界を表現するか」というのは確かに難しい大問題です。
私はその為の手段の一つが「数学・幾何学」なんじゃないかと思っています。
数学というのは極めて抽象的な学問です。何しろ「物質」は全然扱ってませんからね。数字も式も「物質」じゃない。
「これが1でーす!」って何か物質を提示することはできない。
そんな「極めて抽象的」な学問領域である数学は、自ずと「世界の背後にある捉えにくい現実」をある意味比喩的に表現するのに役立つのではないかと。
なんか、そんな風に思ったりします。


---引用--------------------
イスラム世界の美術工芸は、その長い歴史を通じて、さまざまな媒体で多彩な様式を発展させてきた。しかしそこには常に、一目でイスラム芸術とわかる統一要素があった。統一性と多様性の関係を明示的に追求した美術様式が、一貫性を持つと同時に多彩でもあるのは驚くにはあたらないだろう。その中心にあるのが”調和”である。
---引用終わり--------------------

「調和」を表現する為の手段の1つがつまり「幾何学法則」なのではないかという気がします。
「調和」を表現する為にはやっぱり何がしかの「ルール」「法則」みたいなのが必要なのですよね。文様に「調和」という土台を持たせる為にはやはり幾何学法則というのは最適なのではないかという気がします。


で、本書の「はじめに」では続いて、イスラムのデザインはカリグラフィーと装飾模様に分かれるという話が展開され、装飾模様は更に2つに分かれるという話になります。
---引用--------------------
ひとつは幾何学パターンで、平面を調和のとれたシンメトリカルな図形に分割し、複雑に織り合わさったデザインを作り出して、無限性やあまねく存在する中心といった概念をあらわす。もうひとつは理想化された植物模様、つまりアラベスク、唐草、葉、蕾、花などであり、有機的な生命やリズムを体現する。
---引用終わり--------------------

「無限性やあまねく存在する中心」!
そうそう!そういうことを実感させてしまう力があるのですよね。イスラム文様というものは。
そしてなぜそうなるかと言うと、その背後に幾何学法則があるから。

「無限性やあまねく存在する中心」っていうのは、ある意味極めて数学的・物理的な概念ですよね。

なんか、宇宙論でも「この宇宙には中心というものが存在するのかしないのか」みたいな議論があったと思います。
で、確か「この宇宙のどこも中心に為りうる」みたいな理論があった気がします。私が読んだ本では「球体の表面」を例に説明されていた気がします。
球体の表面はどこも中心になり得ますよね。
「宇宙の中心」というのもそういう風に考えるべきで、どこが中心というはなくどこも中心になり得る、みたいな話だったと思います。

学生の頃読んだ本に載ってたのでもし最新宇宙物理学では否定されるような理論だったらすみません。
でも、この理論が否定されていようがいまいが、数学とか物理学というのは「無限とは何か」とか「中心とは何か」とかそういうことを考えるのに極めて適切な学問ですよね。
適切と言うか、そもそもそういうことを考える為に発生した学問と言うべきなのか…。

そして「無限性やあまねく存在する中心」という概念は極めて宗教的・哲学的でもある。
だからこそ、「人々の霊的生活を支える」ことが使命である宗教芸術が極めて数学的であることは何ら不思議ではない気がします。

 

そんな風に「はじめに」だけで大・大・大感激しちゃったこの本であります。
「私が知りたかったこと、モヤモヤと漠然と考えていたことが全部言葉になってるよー!」と大感激してしまったのです。

 

で、今度は「むすび」から文章を引用してみたいと思います。

---引用--------------------
イスラムのデザインは、文明化とひきかえに失われた霊的な感覚を、無垢の自然が持つ原初的な美しさを再構築することで補完し、俗世にどっぷり浸かった人間を真剣な熟考へいざなおうとする。イスラムのデザインは、一種の”目に見える音楽”だと言ってもよい。モチーフの反復とリズムが内なるバランス感覚を目覚めさせ、神への祈りや神についての思弁を視覚的に展開する役目を果たすのである。
---引用終わり--------------------

この「目に見える音楽」という言葉を読んで、雷に打たれました。

アクセサリー作りは音楽のようだ。
アクセサリー作りは数学のようだ。
そんな思いはそのまま「目に見える音楽」を感じていたものだったのかな、と思いました。


音楽と文様は互いに変換可能である。
そしてその間を繋ぐのは数学理論である。

そんな風に思います。


私は「目に見える音楽」を構築できる人間でありたいです。
私が作り出すもの全てがそういうものになることを願います。
それを目標に、いつも真摯な気持ちでものづくりに向き合いたいです。


美しい世界には調和がある。
その調和はつまり音楽でもあり、数学でもある。
そしてそういう音楽的・数学的調和を宿したアクセサリーを作ることは可能である。
そんな風に思います。

 

そんなこんなで、この本は私に人生の指標を提示してくれたバイブルなのでした。


今後も、この目標をいつも心に置きながら、いろいろ作ったり数学の勉強をしたりしたいです。