音楽と数学と文様

透き通って硬質な、「仕組み」のある美しさ

「音楽」「数学」「文様」の間には深い関連性があると思っています。なのでそれらについて思うことを書いていく予定のブログ。
数学について、幾何学文様について、結晶構造について、アクセサリー作りその他いろいろものづくりについて、その他いろいろ、など。
とは言っても全然関係無さそうな好きな本のこととか日々のこととかもあれこれ書く予定です。自作アクセサリーの写真なんかもアップしてく予定です。
あと、大学は一応心理学系だったのでそういう話もいろいろ書きたいです。

数学の夢

今回は、数学の夢の話を。
夢とは言っても「私は数学で××するのが夢」みたいな話ではなく、夜眠る時に見る夢のことです。


私は中学生~高校生の頃は将来は天文学の道に進みたいなあなどと思っていました。
中学生の時星の世界に突如目覚めて、バリバリの天文少女になり、なので数学・物理をせっせせっせと勉強していました。
大学はそういう系統のとこに行こうと思っていたのです。

ただ、小学生の頃から理科系科目好きだったとは思います。
全般的に勉強好きな子供でしたが(と自分で書くのは嫌味かなとは思うのですが話の展開上書きます、すみません)、特に理科系科目と親和性が高かった気がします。

いえあの、国語とかも好きだったんですよ。作文とかの課題が出たときとかもモリモリと書いてたし。本もモリモリと読む子供だったし。
文系科目が嫌ということは全く無く、それも興味深いと思っていました。

ただ、やっぱり理科系科目との親和性は高かったと思います。何と言うか「論理性」というものが好きだったのではないかと思います。子供の頃から。
論理を組み立てるような勉強世界が好きだったのだと思います。
もちろん小学生の頃はそういう自分の傾向を言語化することはできなかったけれど。


とにかく、そんな風に小さい頃から理科系科目と親和性が高く、そしてそこに「天文学」という目標ができたので更にそこを目指して数学・物理学をせっせせっせと勉強していました。

そんな10代だったのですが、浪人中にいろいろ思うところがあり、結局ごろーんと進路を変えてしまいました。
結局大学は心理学の学科に進んだのです。

周りからは「何でいきなりそんな全然違う方向へ?」みたいなことをいろいろ言われましたが、自分としてはそんなに正反対という風にも思ってなかったです。
違和感は無かったというか。
大学生の頃から、「心理学と物理学は必ずしも正反対ではない気がする。共通部分がある気がする」という風に思ったりしていました。
実際「物理学的心理学」とでも言うような体系を作っているアーノルド・ミンデル氏のような方もいますしね。
(ミンデル氏の書籍好きです。難しいけど)

とにかく、そんなこんなで大学では心理学勉強してました。
もちろん、心理学世界で言うところの「論理」はやっぱり数学・物理学世界のそれとは違うと思います。
どちらかと言うと「物事を象徴的に考える」みたいな能力が鍛えられる世界だと思いました。そこには、数学・物理学の世界とはまた違う「論理性」があるのですよね。それを学べたことは人生の財産です。その後の人生にずーっと生きている。
(心理学ちっくな話もこのブログでいろいろ書いてく予定です)


ただ、私の「数学・物理学探求」みたいなことはある意味そこでバタッと断ち切られているのです。
何か、中途半端なままで終わっている感じ。

もちろん、大学で心理学方面に進学したことは全然後悔していませんよ。
それは私の人生に必要なことだったし、大学4年間は本当に充実していて幸せだったと思っています。

でもそれでも、バタッと中途半端で形で終わってしまっている側面があったのは確かです。
「小学生の時から理科系科目好き少女」「数学・物理学好き天文少女」という私のある側面は、その時点でバタッと一時停止になったままになっている。
そういう気持ちはやっぱりどこかにありました。


そして、大学を卒業し就職した頃から、定期的に同じテーマの夢を見るようになりました。
「理科系の大学を受験する」というテーマの夢です。

夢の中の私は高校生や大学生だったり、あるいは一度大学を卒業していたりといくつかパターンがあるのですが、とにかく理科系の大学を受験しようとして色々調べたり準備したりしている夢です。
そういう夢を、3~4ヶ月に1回見る、という日々がずーっと続いていました。


もちろん、こういう夢を見続ける理由は自覚していました。
「私の数学・物理学方向の探求は途中で断ち切られている。中途半端な状態で終わってしまっている。だからこういう夢を見続けるのだ」と思いました。

私の無意識世界の中には「途中で夢を断ち切られた理系少女」がいる。
それも私の一側面。
その少女が時々どうしても夢の中に出てくる。どうしても居場所が必要。だって彼女も私の一部だから。

ある意味、簡単すぎる程単純な夢分析で済むような明快な話です。
だから、定期的にこういう夢を見るということはまあ当然だと思い、自分としては納得していました。

別にこの夢を見続けるのが嫌とか怖いということもありませんでした。
原因がわかっていることというのは恐怖・嫌悪の対象にはなりません。
なので納得して「自分の人生の中で当然起こること」としてこの夢を見続けることを受け入れていました。

そして「この少女を満足させてあげることを自分の人生の中に取り入れていこう」と思っていました。
実は、就職にIT系を選んだのはその自覚があったから、という側面もありました。
何しろひたすら論理の世界ですから。プログラミングというものは根本に論理学や集合論が関係していると思いますし。
それに、趣味的に数学や物理学の本を読んだりすることもあったので、「それでいいか」という風に思っていました。


でも、やっぱり相変わらず同じテーマの夢を見続けている。
夢の基本パターンに全然変化がない。
段々と「このままでいていいのだろうか」という気持ちが大きくなっていきました。

すごーく単純でざっくりとした解釈ですが、夢は「無意識からの要求」という側面があります。
繰り返し同じテーマの夢を見る、ということはつまり、そのテーマについて強い要求が無意識からあるということ。
その要求にもっと真摯に向き合う必要があるのではないか、という気がしてきました。
そこにもっと本格的に徹底的に取り組む必要があるのではないか、という気がしてきてきたのです。

そしてそのことと並行的に、アクセサリー作りの経験から「アクセサリー作りは数学のようだ」という思いが自分の中で大きくなっていきました。
やっぱり「数学」ということにもっと本気で徹底的に取り組む時期が来ているのではないか、という気がしてきました。
そのことによってアクセサリー作りをはじめとする私のものづくり世界も広くて深いものなっていくのではないか。
ものづくりを進化させる為にも、数学にもっと真剣に取り組むべきなのではないか。
そんな思いが強くなっていきました。

程々に数学に触れる、というレベルではなく、もっと本格的に徹底的に人生まるごと的な感じで取り込むべきなのではないかという気がしてきました。


でもだからと言って、夢と全く同じように「どこかの大学に入学しよう」などと思った訳ではありません。
「夢に取り組む(即ち無意識からの要求に取り組む)」ということは、夢の内容をそのまま実現すればいいというものではないと思います。
夢というのはもっと象徴的に読まないと。

「理科系の大学に入学しようとする」ということを象徴的に解釈すると(対象は数学として)例えば、
1)大学レベルの数学を身につけることにトライする
2)大学新入生のような気持ちで数学という学問に向き合ってみる
とかそんなようなことを思いました。

もちろん解釈はいろいろ成立し得ると思いますが、私としては何より「1)大学レベルの数学を身につけることにトライする」が今の私にとっては一番妥当なのではないかという気がしました。何と言うか、その解釈が一番自然にフィットする感じ。
私の中の「理系少女」が喜んでいるような実感がありました。

私の中の天文少女は理科系の大学に行って数学・物理学をバリバリ勉強するつもりだったでしょうから。その少女の夢を叶えてあげる為には私自身が大学レベルの学問にトライするのはある意味自然なことな訳です。
なので、やっぱりそれにトライすることを考え始めました。


そしてまた同時並行的に諸事情ありまして転職せざるを得ないような状況になりました。
まあ、転職は前々から考えていることではあったのですが。

で、転職活動の際はIT系でいくつかのジャンルにあたってみましたが、結局データ分析系の会社に入社することになりました。
転職活動しているうちに、自分の中で「やっぱり私はデータ分析チックな仕事がしたいな。今までのIT業務経験を活かして、更に数学的要素が強い方向に進むのが私の次のキャリアとしては良いのだろうな」という思いが強くなっていきました。
何となく「私はそういう方向に進むべきなのだろうなー、人生の方向をそういう側にシフトすべき時なのだろうなー」という実感がありました。

ホントーはね、もちっと楽な残業少なさそうな仕事とかがいいかなーと思いもあったのですよ。
でも、そういうとこはことごとくうまく行かなかったです。
なんかやっぱりある程度話が進むのはデータ分析系の会社ばっかり。
なので「やっぱり私はそういう方向に行くべきなのね。たとえ残業が多かったとしても」と思いました。
「もちっと楽な残業少なさそうな仕事とかがいいかなー」というのは単なるエゴであって、本当に私が進むべき道、陳腐な表現で申し訳ないですが「魂が望む道」はやっぱりもっと数学要素が強い方向なのだろうなーと思いました。
たとえ残業が多くても。

で、まあ半年位の転職活動の末、今の会社に入社することになりました。
入社が決まった時「私のどういうところが評価されたのでしょうか」と担当の方に質問してみると「社長は<数理センスのある人だ>と思ったと言っていました。その辺りが決め手になったようです」と仰ってくれました。
この言葉は超絶嬉しかったです。多分私は「優しい人」とか言われるより「数理センスがある」とか言われる方が100億倍くらい嬉しいですね。
って「優しい」とかあんま言われたことないですが。


そんなこんなで、データ分析寄り業務の会社に入社し、業務に勤しみながら並行して数学の勉強もする日々なのでした。
正直仕事はすごーく厳しく、消耗することも多々あります。
でも「数学的思考力を鍛える」という目的のためにやっています。
やっぱり実践積むことも必要ですからね。数学というジャンルも。理論だけじゃなく。
社長と数学の話をしたりできることも嬉しい。
そういうことって、ありそうでそうそうないものですよ。


そして、やっぱり転職してから「理科系の大学を受験しようとする夢」はパッタリ見なくなりました。
ま、当たり前ですけどね。現実世界で取り組んでいる訳ですから。

統計学を本格的に学ぶ為には、どうやっても大学レベルの数学が必要。
なので恐る恐る、でもワクワクドキドキしながらそういう世界に踏み込みつつあります。

とは言っても、本当に遅々とした歩みですけどね…。
そもそも高校数学の復習からやってるし。まずそこからやらないとわかんないですから。
数学書籍というのは「わかんないとこは読み飛ばして先に進んでみる」ということができないジャンルですから。
わかんないまま進んだら、さらにサッパリわかんなくなる。
ホントに一歩ずつ進むしかない。
ときには中学数学のレベルにまで遡ったりしながら。


でも、ほんと難しくて大変だけど、やっぱりすごく興味深いです。
大学レベルまで入っていくと、数学の世界は更に厳密で美しく、本当に奥深いです。
高校生の頃までは、どうしても「受験勉強」という縛りがあった。なのでいろいろ「?」と思うところがあっても問題を解けるようになることを優先するしかなかった。でも、今は違う。
高校生の頃よくわからなかったこと、今ひとつ納得できなかったあれこれ、「それってつまりどういう話なの?」と思う部分について好きなだけ調べたり考えたりできる。
それが嬉しいです。

もちろん高校数学も面白いとは思うのですが、その制約から解放されて「それってつまりどういう話なの?」と思ったところを追求していくのは楽しい。
「数学ってこんなにも深淵な世界だったのか!」と思ってしまいます。
それがすごい面白いです。


ま、でもホントにホントに難しいんですけども…。
ホントに数学の本を前にしながら唸ったりしてるんですけど。

でもホントに、難しくも興味深い面白い世界です。

その難攻不落な世界に取り組みながら、その世界で身に付けた思考力をアクセサリーその他ものづくり世界で「目に見える形」に変換していきたいと思っています。
「音楽と数学と文様」の実践です。

そういうことが、私がすごくやりたいこと。
「私はそういうことが向いていて好きで人生で取り組むべきことなんだろうなー」と素直に思えること。
だから、一歩一歩地道に真摯に、でも面白がりながら取り組みたいと思っています。

 

あら、最後は結局「数学で××するのが夢」みたいな話になっちゃいましたね。

でも、それでいいのです。

寝ているとに見る夢。
「人生の中で実現したいと思っていること」という意味での夢。

それらはきっと、究極的なところでは同じだったりするのかも知れません。殆ど違いは無くなってくる。
河合隼雄先生も著書でそういうことはよく仰っていましたし。


とにかくそんなこんなで、私は私の「数学の夢」を行きます。生きます。
私なりの「夢を生きる」ですね。

 

 

明恵 夢を生きる (講談社+α文庫)

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