音楽と数学と文様

透き通って硬質な、「仕組み」のある美しさ

「音楽」「数学」「文様」の間には深い関連性があると思っています。なのでそれらについて思うことを書いていく予定のブログ。
数学について、幾何学文様について、結晶構造について、アクセサリー作りその他いろいろものづくりについて、その他いろいろ、など。
とは言っても全然関係無さそうな好きな本のこととか日々のこととかもあれこれ書く予定です。自作アクセサリーの写真なんかもアップしてく予定です。
あと、大学は一応心理学系だったのでそういう話もいろいろ書きたいです。

人生のテーマが定まると、変な夢想が人生から消える

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このブログのタイトル「音楽と数学と文様」は、そのまま私が人生で探求したいテーマであります。

長い思考錯誤を経てこのテーマを言語化することができました。
そして言語化できたとき、私の傾向とか、好きで続けてきたことが全部繋がる感じでした。


子供の頃から理科系少女で、理科や数学が好きだったこと。割と「論理性」を重んじる子供だったこと。
でも、大学は心理学系に進んで、その勉強もとても面白かったこと。
子供の頃からちまちまとしたものづくりが好きで、フェルト小物やビーズアクセサリーや刺繍とか編み物とか何かしら作り続けていたこと。
IT業界に就職してシステム開発に従事し、今はBI、そして更にデータ分析系を目指していること。
絵画よりも文様が好きなこと。
色鉛筆とかビーズとか刺繍糸とか「カラーが豊富なアイテム」が好き、色彩好きなこと。


自分が自然にできてしまうこと、続けてきたこと、興味を惹かれること。
そういうものが全て「音楽と数学と文様」というテーマに収束しました。


そして、こんな風に「人生のテーマ」を言語化できたときから、私の人生の雑念・夢想が消えました。

それ以前はね、あったんですよ。大人になるにつれ減ってきていたとはいえ。
なんか「今の現実とは違う自分を夢想する時間」みたいなものが。

 

でも、人生で探求したいテーマが自分の中にビシッと定まったとき、本当にそういうものが無くなりました。
今は「今の自分ができることから積み上げていく」ことにしか興味がありません。
どこか遠くの、今の自分からかけ離れた「よき自分」のようなものを夢想することが全く無くなりました。


別にね、夢想が悪いことだとも思いませんよ。
ただやっぱり、そういう夢想がある頃の私はなんか満たされていなかったというか、いろんなことがしっくりこなかったというか、地に足がついていなかったというか。そんな気がしています。
そして、今の方が本当に幸福です。何て言うか、モタモタ迷ったりしなくて済む心地よさ。


えーと、今の私が「もっとこうなりたい。こうなろう」みたいな目標設定をしない、という意味ではありませんよ。
「今の現実からかけ離れて、そこに近づく道のりがサッパリ見えないような夢想をタラタラと続けることがなくなった」ということです。
目標設定をしたら、その目標に対して「今の自分ができること」をいつも考えられる、ということです。

 

ビジョンは全て、今の自分から地続き。
だから、一歩一歩みちっとしっかりと歩いていく。
そういう気持ちな訳なのです。
それが、「モタモタ迷ったりしなくて済む心地よさ」ということ。

 

何て言うか「今までやってきたことが全部このテーマに繋がっていたから、これから手をつけることもこのテーマに全て繋がる筈」みたいな妙な確信があったりします。
どこからくるんだこの自信、って自分でも思いますが…。
でも、そういう気持ちなのです。


そして現実問題として、夢想を繰り広げている暇が無い。
作りたいもののストックはいつもあるし、アイディアいっぱいあるし、ブログだってもっと書きたいし、勉強したいこと山ほどあるし、読みたい本も山ほどあるし、勤め人としての仕事でも目標もたくさんあるし…、という感じで、変な夢想が人生に入り込む隙間がないのでした。

 

 

本当にね、大げさでなく。
このテーマを言語化できたとき「私が生まれた意味がわかった!」的な気持ちになりました。本当に。

 

「生まれた意味」なんていうものがあるのかないのか、その答えなんて誰にもわかりません。
「ある」っていう人もいるし、「ない」っていう人もいる。

でも、人間は「自分が生まれてきた意味」みたいなのをつい求めてしまう習性がある、っていのは事実だと思います。
(人によって、時代によって、地域によっても差があるとは思いますけど)


私は正直、「人生の意味」を求めていたという意識はあまりなくて、とにかく「自分が好きなこと・やりたいことはできるだけ実現する」というスタンスで生きてきました。


でも、それをやりつつ、かつ、自分がやることに対して都度あれこれ考察しているうちに、こんな風に人生のテーマを言語化することができました。

 

それを発見することは、自分の中にバシっと1本の軸が通るような感覚です。
「ああ、私はこうやってこの世界にちゃんと自分で立っている!」というような充足感。

 

そんな充足感は、やっぱりそれまで得られていなかったような気がします。
だからこそ「生まれてきた意味がわかった!」という気持ちになったのだと思います。

 


そして、その充足感があるから、このブログを書いています。
これからも、そのテーマにたどり着いたプロセスとか、そのテーマに沿って探求していることをいろいろ書こうと思います。


それが、世界に感謝する方法だと思うので。