音楽と数学と文様

透き通って硬質な、「仕組み」のある美しさ

「音楽」「数学」「文様」の間には深い関連性があると思っています。なのでそれらについて思うことを書いていく予定のブログ。
数学について、幾何学文様について、結晶構造について、アクセサリー作りその他いろいろものづくりについて、その他いろいろ、など。
とは言っても全然関係無さそうな好きな本のこととか日々のこととかもあれこれ書く予定です。自作アクセサリーの写真なんかもアップしてく予定です。
あと、大学は一応心理学系だったのでそういう話もいろいろ書きたいです。

編み物について「始めたけど完成させてない」「途中で挫折」の現象について考えてみた

寒いです。
編み物シーズン到来ですね。


さてそんな編み物シーズン、ツイッター等で「編み物キットを購入したり、材料を揃えたりして編み始めたけど、結局途中で止まってる」みたいな話をしばしば見かけました。


それを読んで「手芸系で途中で挫折しちゃうこと」について自分の経験を振り返っていろいろ考えてしまったので、ブログにまとめてみようかと思います。


私も、大学の頃とか編み物とかの作品を完成させられないことがありました。
でも、最近めっきりそういうことは無くなってます。
その違いは何だろう?と思って考えを巡らせて、下記のようなことが要因なのかなーと思いました。


1)そもそも自分の実力を超えた手をつけてしまった。
2)自分の中に切実な「作りたい」という思いやイメージが無いものを、なんとなく作り始めてしまった(わたし的にはこれがメチャ重要)


【そもそも自分の実力を超えたものに手をつけてしまった】

これはまあわかりやすいですね。今の自分の実力からあまりにもかけ離れた難易度のものに取り組んでも、なっかなかモチベーションが続かない。だって作業自体が遅々として進みませんからね。「ホントに完成する日が来るのかしら」みたいな気持ちになっちゃう。


それに、いきなり難しいものに挑戦してもなかなか綺麗に作れないし。自分が作ったものを見て「なんじゃこのヘタクソぶりは…」とモチベーションが下がってしまう。
特に編み物はねー、段階を追って理解&難易度を上げていかないと…。いきなり複雑な大作に挑むと挫折率upな気がする。
そりゃー複雑で美しいものを作りたくなっちゃうけど。その気持ちはわかるけど。
今の自分の実力に合うものを作らないとね。


そして次。


【自分の中に切実な「作りたい」という思いやイメージが無いものを、なんとなく作り始めてしまった】

これがわたし的には超重要な気がしています。
私が過去に完成できなかったものは主にこれが原因だった気がします。それは今になってわかることだけど。

 

大学時代、完成に至らなかったセーターがあった。それはやっぱり「私はこのセーターが完成したら着るかな。このセーターを切実に好きになるかな。本当に私の見た目と心に沿うセーターなのかな」という考慮が決定的に足りていなかった気がします。

 

作り始めたセーターは確かに「キャーかわいい!」と思えるものでした。色彩の感覚が独特で。デザインも斬新で。夢がたくさんあって。
だから魅力を感じて作り始めたのですが、結局途中で止まってしまってました。

 

今考えると、私は「そのセーターを着た自分」というものがイメージできてなかった気がします。「私はこのセーターが完成して身につけたらきっととても嬉しく幸せな気持ちだろうなー」という程の切実な「好き!着たい!」というものが自分の中になかった。「なんか可愛くて面白いなー」という感じの動機。

 

きっとだから完成できなかったのだと思います。


あの頃は意識できていませんでしたが、そういう「動機」「切実さ」は手作り作品を完成させる上ですごーく大切なものなのだと思います。
これは、今の「ものづくりの経験を重ねた私」だから言葉にできることなのだと思いますけど。


私は今はアクセサリーについては完全にオリジナル作品しか作りません。
結構手間がかかるものを作るので、完成までものすごい試行錯誤をして、自己嫌悪や徒労感に襲われる時も多々ありますが、そういう感情に負けて「完成できない」ということは無いです。

 

ただ、オリジナル作品を作っていて、完成に至らなかったものもありました。
それは「作品のテーマ・イメージ」が無いまま作りはじめてしまったもの。何となく「あの石とこの石を組み合わせると綺麗かなー」くらいの気持ちで作り始めてしまったもの。それは結局完成しませんでした。


私はオリジナルアクセサリーは「イメージ」や「テーマ」(あるいはその両方)が自分の中に生まれたものだけを作っています。

過去記事でいくつか自作アクセサリーを紹介していますが、いずれも作る前に既に「イメージ」「テーマ」が自分の中にあったものです。

 

music-mathematics-pattern.hatenablog.jp

 

 

music-mathematics-pattern.hatenablog.jp

 

 

music-mathematics-pattern.hatenablog.jp

 

「イメージ」は文字通り、アクセサリーの完成品のイメージです。「テーマ」は上記記事に書いたアクセサリーの名前とか、記事で説明している「アクセサリーで表現したいこと」とかです。

大抵の場合、両方同時に浮かぶのですが、とにかくそういう「イメージ」「テーマ」が自分の中にあるものを作ります。

そうすると、途中で挫折しない。
途中いろいろ困難があっても、すっごく時間がかかったとしても、最終的に完成に至る。

 

でも、何となく「あの石とこの石を組み合わせると綺麗かなー、とりあえず作ってみようかな」くらいの動機で作り始めたものは結局完成できず。

あまりにもうまく行かないので、その原因を考え直してみて「私の中に切実なイメージ・テーマがなかった」と気付いたのです。

 

「こういう状態で作り続ける意味は無い。私は戦略を間違えた。この作品はここでストップさせよう。こんな中途半端な状態で作ってしまったら使用している石達に失礼で申し訳ない」と考え、作るのをやめました。


オリジナルアクセサリーを作り始めてからは、完成に至らなかったのはそういう時だけです。
その経験を踏まえ「自分の中に切実なイメージ・テーマがなければ作ってはいけない」と痛感したのでした。


なので今は、本当に自分の中にイメージが浮かぶものしか作りません。
そうじゃないと、結局完成しないですしね。
そして、完成させられなかったら、それは材料たちに失礼なのです。

 

石も、イメージが浮かぶまで平気で何年でも寝かせておきます。
購入してから何年も経ってから、最適な完成イメージが思い浮かぶこともあるのです。


無理矢理辻褄を合わせて作ろうとしても、どうせ完成しない。
自分の中に「切実な動機」「明確なテーマ・イメージ」があるものだけを作る。
そういうことを自分に言い聞かせています。

そうすると、「作り始めたけど完成しない」という事態を避けられる、というのが私の実感です。


手仕事・ものづくりのハードルを無意味に上げたい訳ではないんですけど…。
そんなに簡単にパパーっとできるものでもないなあと思います。

 

そもそも、手仕事って現代ではもはや「贅沢」「娯楽」の領域です。
セーターなんて、既製品を買う方が材料費より安かったりします。作るのも時間かかるし。
そんな現代社会で「それでも作りたい!」って思ったら、自分にあったモチベーション管理が必要なのかなーと思います。

 


とにかく、今後も私の元に来てくれた材料たちに感謝しながら、挫折を極力避けて作り続けたいなあと思います。