音階理論は数学理論
小学生の頃、音楽の授業が苦手でした。というかはっきり言って嫌いでした。
音楽が嫌いなのではなく、「音楽の授業」というものがイヤだったのです。
その理由は「音階理論の意味を誰も教えてくれないから!」でした。
いえ、当時は何しろ小学生でしたから自分の不満をそんな風に言語化することはできていませんでしたが、今思えばあの時の焦燥はそういうものだったと思います。
小学校の音楽の授業で、当たり前ですが「ドレミ…」を習います。
この「ドレミ…」の正体が全くわからず、小学生の私はひたすらに苦悩していたのです。
今はどいう教育指導要領になっているのか存じませんが、私はピアノの鍵盤で「ドレミ…」を習いました。
鍵盤を見せられ「これがド、レ…」と説明され、「ここでからは高い音のドレミになって…」みたいな感じの説明だったと思います。
(さすがに記憶は曖昧ですが、とにかく機械的に覚えさせられました)
これが私には全く納得ができませんでした。
例えば、ある「ド」とそれより1オクターブ高い「ド」。
この2つの共通点と相違点が一体何なのか、全く意味がわかりませんでした。
何であの高い音と低い音を両方「ド」って言ってるの?
確かになんか似た感じに聞こえるけどさあ、でも違う音でしょ?
何を根拠にこの両方の音を同じ「ド」って言ってるの?
「ド」と「レ」の違いは何なの?「ド」と「ミ」は?そもそも「ドレミファソラシ」の各音の違いってなんなの?
何を根拠にこれは「ド」であれは「レ」なの?
オクターブって一体なんのこと言ってるの?その意味は何なの?
ピアノを元に説明してるけど、そんなのおかしいじゃん!
ピアノは自然物じゃないんだよ!森のどこかにピアノが生えてるワケじゃない。
なんかしらドレミのルールがあって、ピアノというのはそのルールに合わせて人間が作ったものでしょ?
何でピアノを「音程の普遍の真理」であるかのように説明道具にしちゃうわけ?そんなのおかしいじゃん!
何でその背後のルールを教えてくれないの?
音ってなんなの?ドレミって何なの?音程って何なの?オクターブって何なの?
誰が答えを知ってるの?
まだ小学生だったからうまく言葉にはできなかったけど、そんな焦燥を抱えていました。
そして、言葉にできないから誰にも質問することができず、ただ1人で悶々としていました。
私はそんな風に、小学生の頃から「物事の背後にある理論」みたいなものを知りたがりだったようです。
で、それがさっぱりわからないまま実践ばかりさせられるので、音楽の授業は苦痛でした。
何が何だか意味がわからないことについて「とにかくそういうもんなんだからいちいち考えないでさっさとやれ!」みたいに押さえつけられるのが私は大嫌いなのです。今も昔も。
そんなこんなで、音階というものについて孤独な焦燥を抱えて生きている子供時代でした。
で、この音階理論の仕組みをようやく理解したのは高校生の時でした。
高校物理の「波動」の項目で、ようやくそれを知ったのです。
って言うかそもそも「音とは何なのか」っていうことにようやく納得できたのも高校物理によってです。
それをちゃんと知ったのはこの本のおかげだ…。
言わずと知れた高校物理参考書の名著!
この本が無ければ、私は物理学というものが全くわからなかったと思います。
高校の物理の教科書というものは、あまりにも物事の説明が簡略化されすぎていて、さっぱり意味がわかりませんでした。
この本ぐらいに細かく丁寧に、1つ1つ段階を追って説明してもらえないと、私は物理というものがさっぱり意味不明だったと思います。
私は高校生の頃はもうひたすらこの参考書で物理を勉強していました。
で、働き始めた後に「また物理復習したいなー」と思って本屋にこの本を買いに行って…、どこにも存在せず、愕然。
ネットで調べてみるとどうも絶版らしい…。
「ががーん。あの素晴らしい書籍がもう手に入らないなんて…。っていうか今の高校生はもうあの素晴らしい参考書で勉強することができないワケ?そんなの駄目!日本の理科系教育の危機だよそれは!」って本気でおもっちゃいました。
でも本当にそう思ってしまうくらい、素晴らしい書籍なのです。
で、「もうあの素晴らしい書籍が手に入らないなんて…」と呆然としていた丁度その頃、実は復刊ドットコムさんにこの本の復刊を希望する声がどしどしと寄せられていたのでした。
この書籍の復刊を希望する方々のコメントを読んで、泣きましたね。私は。
http://www.fukkan.com/fk/ItemComment?i_no=15303934
「やっぱりこの本をこよなく愛する人は沢山いたんだ。私みたいに<この本で物理の面白さに目覚めた!>っていう人はこの国に沢山いるんだ!」ととても嬉しくなりました。
そして目出度く復刊が決まり、私もふたたびこの名著を手にすることができた訳であります。
復刊版のまえがきには著者の遺族の言葉が寄せられておりますが、これを読んでまた涙…。
とにかく、この素晴らしい高校物理参考書が消滅せずに済んで本当に嬉しい。この本が消滅しちゃうのはこの国の大きな損失ですよ…。本当に…。
えーっと、本の話ばかり書いてしまいましたが…。
とにかく、そんな感じの高校物理参考書の名著中の名著であるこの本で、私ははじめて「音とは何か」「音階とは何か」ということをきちんと学んだのでした。
------引用-----------
音波は媒質の弾性によって伝わる縦波(疎密波)である。即ち媒質の各点は波の進行方向に平行に振動する。よって音波が伝わるためには弾性を持つ物質(気・液・個体)が必要である。(真空中は光は伝わるが音は伝わらない)
例
音叉から出た音波は球面となって周囲に伝わる。今、音叉の横に管を覆えば、音叉の脚が開いた瞬間、足のすぐ外側の空気AはA’に変位し圧縮され密部を生じる。この部分A’は圧力(弾力)が大きいから、右隣のぶぶBを右へ圧し(作用)、同時にBによって左へ圧される(反作用)。従ってBは右へ変位して密部を生じ、A’はもとの位置Aに戻る。このようにして密部が右へ伝わっていく。
------引用終わり-----
こーんな感じの具体的かつ細かく論理的な説明が図と一緒に載っています。
ここまできちんと細かく論理的に説明してくれる本ってホントなかなかないですよ。ここまで説明してくれると納得できます。
で、音の高低についてはこんなふうにシンプルに
------引用-----------
音の高低(音の調子)は音波の振動数で決まり、振動数が大きいほど音は高い
------引用終わり-----
そして問題の「音階とは何か」「オクターブとは何か」についてはこんな説明
------引用-----------
音楽では振動数の比は次のように簡単である。doの振動数を1とすると
振動数が2倍のとき、1オクターブ(8度)高いという。
二つの音はその振動数の比が簡単なほどよくあう。(調和する)(一つの音に聞こえる)
最もよく合うのは1オクターブの2音で、振動数の比は1:2、次はdoとso(5度)で振動数の日は1:3/2、即ち2:3。次に合うのはdoとfa(4度)で、振動数の比は1:4/3、即ち3:4
或る音の整数倍の振動数を持つ音をその音の倍音といい、これに対し前者の音を原音(基音)という。2倍の振動数の音を二倍音、3倍のを三倍音という
------引用終わり-----
※上記図は本に載っている図を元に私が作成したものです。厳密な図ではないのであしからず。
こうしてようやく私は「オクターブとは何か」「音階とは何か」ということを知ったのでした。
小学生の頃から追い求めていた答えです。
オクターブとは、音階とは、振動数の比率の話だった。
「1オクターブ高い音」とは振動数が2倍の音のことだった。
それぞれの音階も、こんなにシンプルな比率によって決められているものだった。
こんなシンプルな原理を、どうしてもっと早く教えてくれなかったの?
頭の中が「?」だらけになりました。
このシンプルで美しい基礎理論を誰かが私に教えてくれれば、私はあんなに音楽の授業を嫌わずに済んだのに。
むしろ、理科系好きな少女だった私は音階理論にとても興味を持てたと思えるのに。
そんなことが頭を駆け巡り、失われた時間が悔しくて仕方なかったです。
この辺の音階理論の数学的・物理学的側面のわかりやすい説明は例えばこちらのサイトなど。その名もずばり「音楽と数学のいろいろ」
http://gakuen.gifu-net.ed.jp/~contents/museum/music/page52_0.html
このサイトの中でこのシンプルな整数比音階理論が説明されているのはこちら。
1.「神が作った?音階」=純正調音階について
http://gakuen.gifu-net.ed.jp/~contents/museum/music/page52_1.html
アニメーションや音も用意されていて、シンプルで親切なわかりやすいサイトだと思います。
こういう世界を知れば知るほど「音階理論は数学理論でもあるのだ」という気がします。
音楽と数学は、とても密接に結びついている。
なのになのに、学校教育というものがまったくそういう視点を持っていないことが個人的にはとても悔しいです。
なぜ、このシンプルな整数比のことをもっとさっさと教えてくれないのでしょうか。
そりゃあね、振動数とか振幅とかそういう言葉は物理学用語なので小学生には難しすぎるとは思いますよ。
でも、このサイトのようにそれは「弦の長さの比」というパッと見でわかりやすい姿で表すこともできるのですよ。
なんだって音階理論をわざわざピアノの鍵盤で教えるのか。
鍵盤は、この基礎理論をブラックボックス化したようなものですよ?(実際に仕組みはあのでかい内部に隠れている訳だし)
厳密な説明は難しいにしても、なんか音楽教育用のモノコードの楽器を作って、それを元にこの単純な整数比で成り立つ音階の世界の概要を子供に伝えることだってできるんじゃない?
分数とか比率っていつ頃習ったっけ?小学校3年生くらい?
それを習っていれば、音階理論の根本的な部分は何となくでも実感できるんじゃない?
そしてそれは数学の勉強にもなるんだよ。
何でそういう教育になってないの?
そもそも、なんだって教育というというものはこう縦割り行政的に各ジャンルの繋がりが考えられていないの?
音楽と数学は実は根本的なところでとても近いものなのに、その2つを繋げる視点は全く教育されないの?
教育の体系というものは何でこんなにいろいろなものがバラバラになってるの?
もっといろいろなものを結びつける視点を教える教育方針があったっていいんじゃないの?
…音楽教育から教育全般への疑問へ話が拡張してしまいましたが。
とにかく、そんなこんなな感じの憤りを沢山沢山感じました。
このシンプルな基礎理論をもっと早くに教えてくれれば、小学生の私はあんなに苦しまくて済んだのに、と思います。
そして、音楽の世界がきっともっともっと好きになっていたと思います。
もちろん、ひょっとするとこういう数学っぽい話が出てくると音階理論が嫌になってしまう子供もいるのかも知れません。
(もしかしてそういうことを考慮して音楽の教育に数学っぽい話は出さないようにしているのかな…)
論理的な仕組みが全然わかんなくたって音楽を楽しめる人だっていっぱいいるのだと思います。
でも「教育」なのだから、できることならそういう理屈もちゃんと教えて欲しかったです。
「音楽を楽しむ」ということは個人でも割とやりやすいよ。巷に音楽は溢れているのだから。
でも教育には「楽しむ」以上の目的がいろいろあるんじゃないか。
…まあ、「理屈知りたがり屋」の恨みつらみと言ってしまえばそうですが。
とにかく、私はこういう「音階の背後に潜む数学的調和」みたいなのがすごく不思議で好きで、そしてそれは奇跡のように思えてしまいます。
なぜ人間は「振動数の比が簡単な音」に心地良さ・調和を感じるのか。
それはつまり「人間は単純比そのものに美しさ・調和を感じる」ということではないのか。
それは「数学を美しいと感じる」にも繋がるし、「シンプルな数学的規則を持つ文様に美しさ・調和を感じる」ということにも繋がる。
シンプルな比率の繰り返しの文様が人に安心感や安定感、あるいは感動を与えることもある。アクセサリーにだってそういう側面はある。
…そんな風に思考が展開するとそれはそのままこのブログのタイトルでもある「音楽と数学と文様」に繋がるし、私のライフワークであるアクセサリー作りにも繋がる。
だから私は「音階理論の数学的側面」について考えることがとても好きなのでした。
それはそのまま「人間にとって美しさとは何か」と言うような根源的問いに繋がっていくような気がします。
さて、今まで綴ってきた「単純な整数比による音階」は純正調の話です。
現在世の中で主流になっている音階は純正調よりも「平均律」です。
「音楽と数学のいろいろ」のサイトにも書かれているように、純正調には「転調ができない」という重大な欠陥があります。
その決定的欠陥に立ち向かう(あるいは折り合いをつける?)為に人類はいろいろな音階を考えるという苦闘を展開してきた訳ですが、その問題をバシーンと一気に解決するのが平均律です。
そしてそこでは「整数比」は成立しない。
「無理数」さんの登場ですよ。
「音楽と数学のいろいろ」さんでは平均律の出現について「まるで数学の世界において,自然数だけでは議論が十分にできなくなり,数を整数,分数,無理数,そして虚数と拡張していった歴史に似ています。」と表現しておられます。まさに言い得て妙ですな。
「音楽と数学のいろいろ」さんの平均律についての説明。
2. 「人間が作った音階」=平均律音階について
http://gakuen.gifu-net.ed.jp/~contents/museum/music/page52_2.html
ここでは平均律の説明として「2の12乗根」なんて言葉が出てきます。
「2の12乗根」とゆーのは「12乗する、12回かけると2になる数」です。「1.0594…」と続く無理数です。
もはや、完全に数学の話じゃん。
指数関数・対数関数の話です。高校数学レベルの話です。
人類が「音階の整合性」を突き詰めていった成果の1つである「平均律」は、無理数・指数関数・対数関数というような更に高等数学レベルの話だった!
ますます、音階理論=数学理論じゃないか。
「2の12乗根」は無理数です。つまり「整数比では表せない数」。
と言うことは、音階で非常に重要視されてきた「調和」が失われてしまっていることになる。
調和する整数比の数に非常に近い値にはなっているけれど、すこーしずれている。だからうねりが生じてしまう。
これを知ったときは、結構衝撃的でした。
この「ほんの少しのずれ」、調和しない感じは、何となく無理数というものを知った時の居心地の悪さとも似ているような気がします。
人生で最初に知った無理数は、円周率のパイ(π)だと思います。これは小学校で習いますからね。
でも、小学校でこの数を習う時は「無理数」という概念までは習いません。(私の小学校時代はそうでした)
「どこまでも小数点以下の数字が続く」ということは習ったとは思いますが、なんかその意味をよくわかってなかったと思います。
循環小数との決定的な差までは教わらなかったと思うので、それこそ1/3と同じように認識していたのかも知れません。
(まあ、小学生には難しすぎる概念ですかね)
「無理数」ということをちゃんと習ったのは中学生になってから。
そして、そこで私が最初に出会った無理数(無理数と認識した数)はルート2(√2)でございました。
√2を知ったときは「そんな数ホントにあるの?そんなの数って言えるの?」って思いました。
でも、√2という数はちゃんと存在する。それはこの図を見て納得しました。
大きい方の正方形は1辺の長さが2の正方形とします。
で、4つの辺の真ん中を結んで小さな正方形を作る。
大きな正方形の面積は2×2=4、小さい方の正方形の面積はその半分の筈なので「2」。
と言うことは、この小さい方の正方形の1辺の長さは「2乗すると2になる数」である筈。つまり√2。
「√2ってホントに存在するんだ!」とこの図を見て納得しました。
でもやっぱり、居心地の悪さというか、そういうものを感じましたよ。
実は私のこの「無理数に対する居心地の悪さ」は結局学生時代には払拭できなかった気がします。
微積分にホントのところ納得できていなかったように、無理数にもどこか「そんなのってホントに数なの?」みたいな思いを持っていた気がします。
でも、今は違いますよ。
改めて数学を勉強してみて、以前より遥かに無理数世界の奥深さのようなものを感じています。
多分「受験数学」という縛りがなく、本当に「自分が納得できる勉強」をしているからだと思います。
微積分だって、いろいろ本を読んでみて、高校数学よりも厳密な説明に触れて以前よりもずっと納得できている気がします。
無理数に感じる居心地の悪さは「数字だけでは表せない」ということだったのかな、と思います。
√というなんか不思議な記号や、あるいは方程式の解としてしか表現できない。
そういう部分になんとなく「居心地の悪さ」を感じていたのかも知れません。
「なんかみょうちくりんな記号を使わないと表現できないなんて、そんなのホントに数なの?」みたいなことを感じていたのかなーと思います。
でも今は、そういう風には思っていませんよ。
記号とかが出てくるのはつまり「人間にとって捉えにくい、より抽象度の高い数だからなのかな」みたいに思ってます。
自然数・有理数というのは、割と日常的というか、日常的感覚で捉えやすい数ですよね。
でも、無理数というのは日常で意識するようなことはあまりない。
そういう「人間の日常からかけ離れた概念」の世界の数だから、何だか実感し辛いし、表現方法も日常的なものではない。
なんか、そういうものなのかなーというふうに思っています。
ある意味、より「数学度が高い」世界の数であるとも言えるような…。
そんな気もしています。
「数学度が高い」ってのも何か変な表現ですが、まあ「より抽象度が高い」みたいな感じの意味で使っております。
(正確な言葉じゃないですよ。この記事書きながら考えた表現です)
そして、この「無理数」という何とも捉え難い概念の向こうに更に「連続」とか「無限」とかのより広い数学世界が広がっている。
それは、有理数だけを扱っていては知ることのできない世界。
数学の勉強に改めて取り組んでいる過程で、そんな風に思えるようになってきたので、今は無理数という数について学生時代程の違和感は抱いていません。
難しいとは思いますけどね。やっぱり。
難しいというのはつまり「日常からかけ離れた・抽象度が高い」ということであり、より「数学度が高い」と言えるのかも知れません。
こんなこと書いちゃうと離散数学の専門家から「離散数学だって抽象的だ」とか怒られちゃうかも知れませんが。すみません…。
離散数学ももちろん抽象的だと思うのですが、ここでは「日常的実感からかけ離れている」みたいな話題に限定してますので、すみませんです…。
ご了承くださいませ…。ホントすみませんです…。
そんな感じで、昔より無理数に馴染んでいる(少なくとも自分の実感としては)ので、平均律だって興味深いと思えるのです。
以前はねー、「純正調の方が本物で平均律はその近似値なのでは」みたいな思いを持っていましたが、今はそんな風には思っていません。
そもそも「本物の音階」なんてのは無いですよね。
って言うか、どの音階だって「本物」ですよ。いろいろな体系があるのが音階の世界。
純正調も平均律も、あるいはその他の音階体系だって、どれだってアリなのですよ。
目的や好みによって自由に選択すればいい。
今は、そんなふうに思っています。
平均律では、確かに整数比の音階のような調和は犠牲にされているのかも知れません。
だから、少しのうねりが生じる。
でも、整数比の調和とはまた別の「調和」を持っているのではないかという気がします。
その調和の顕れが例えば「矛盾無く転調できる」なのではないかと。
そしてその「整数比とは違う調和」を表す数学が、指数関数や対数関数であるような気がしています。
日常っぽい感覚では何となくとっつきにくいものではあるけれど、でもそれもこの自然界に確かに存在する調和。
そんなことを考えたりしています。
そんなこんなで、「音階理論は数学理論」ということについて思うことをあれこれ書いてみました。
こういう毒にも薬にもならんことをつらつらと考えることがチョー好きな奴なのでございます。無限結晶Mというヤツは。
(私のことです)
でも本当は、私にとっては「毒にも薬にもならないこと」じゃないよ。
ますます音楽や数学が好きになるし、アクセサリー作りの発想にだって役立っています。
だって私が作りたいアクセサリーの理想の1つは「音楽のような心地良さを感じるアクセサリー・音楽が聞こえてくるようなアクセサリー」なんだもん。
そういう目標の実現の為には、こういう理解や考察が役立つのでした。