音楽と数学と文様

透き通って硬質な、「仕組み」のある美しさ

「音楽」「数学」「文様」の間には深い関連性があると思っています。なのでそれらについて思うことを書いていく予定のブログ。
数学について、幾何学文様について、結晶構造について、アクセサリー作りその他いろいろものづくりについて、その他いろいろ、など。
とは言っても全然関係無さそうな好きな本のこととか日々のこととかもあれこれ書く予定です。自作アクセサリーの写真なんかもアップしてく予定です。
あと、大学は一応心理学系だったのでそういう話もいろいろ書きたいです。

数学の夢 Ver2

以前、「数学の夢」という記事を書きました。

music-mathematics-pattern.hatenablog.jp

 

大学卒業後定期的に「理科系の大学を受験しようとする夢」を見続けているので、無意識からの要求に沿って数学の勉強を本格的にやろうと思った、というような話です。

私は高校生の頃までは大学は理系に行こうと思っていて、でも浪人中に気が変わって心理学系に進みました。
その事は後悔していないけど、でも私の「数学・物理学探求」は中途半端に終わっている。
なので定期的にこういう夢を見ていると思われるので、その中途半端に終わっていることにもう一度本気で取り組むことにした、という話です。

そして、より数学的要素が強い業務の会社に転職し、統計学を学び高校数学を復習し…。
このブログも「数学に取り組む」という行動の1つでもあります。


で!そんな日々を過ごしていたらば!

ついについに「理科系の大学に入学して通学している夢」を見ました!
こういう夢を見るのは本当にはじめてです!びっくりしたあー。

これは「私が本気で数学に取り組みはじめた」ということの表れだと思います。
私の無意識さんがようやく私の努力を認めてくれたというか「お、こいつついに本気で数学に取り組み始めたのだな。よしよし」と思ってくれたような気がしました。

…って私の無意識は私の一部ではあるのですが。
でも、無意識領域は意識のコントロール外です。
ある意味、意識の世界よりもより広大・強大な領域とも言える。
私の一部でありながら、私の意識よりもより大きな世界に開かれている。
自分の中から「自分の思いもよらないもの」が出てくる時も人生には多々ある。それは無意識領域が広大かつ強大で、より大きな世界に開かれているから。

その無意識領域から「ようやく我々からの要求に本気で対応しようとしてくれている訳ですな。よろしい。まずはそのスタートの努力を認めてあげましょう」と言ってもらえた気がしました。


…と言っても、本当にはじまったばかりなのですが。
これから人生をかけてホントにもっともっと深く取り組んでいく予定なのですが。
何しろ、数学と言う山は高く険しいですからねー。ホイホイと気楽に進める道ではない。

でも、とりあえずスタートは切れたかなあと。そして、私の「本気度」が無意識さんにも伝わったかなあと。
自分の本気に自分自身が(意識も無意識も含めて)納得できたと言うか。
そんなことの表れのような気がしました。
そして、それはなかなかの吉兆だと思う訳なのです。

 

夢の中の私は(ちなみに実際の私より若かった。あーあ。私にもああいう時代があったよねえ…、っておばさんくさくてすみません)、現実の私にはよくわからないような長ったらしい難しそうな数式についてああだこうだと語っていました。
いやあ、すごいなあ夢の中の私。
ずっとずっと努力を続けたら、現実の私もあんな風になれるのかな。

 

で、この夢で非常に印象的だったことは、夢の中の私が「上下真っ黒なスーツというものすごく地味な服装だった」ということです。
アクセサリーも全然つけてませんでした。

現実の私は、全然そんな格好をしていません。
毎日何がしかのアクセサリー(しかも大概カラフルで大振りなもの)を身につけていますし、黒は着ても(アクセサリーが映えるからね)「上下真っ黒」ということはほぼないです。もっとカラフルなカッコしてます。
なので、そのギャップが非常に印象的だったのです。
そして、そのことが象徴する意味を考えてみなければと思いました。


そして考えてみて思い出したのが「そう言えば現実世界でも社会人3年目くらいまではほぼモノトーンの服ばかり着ていた」ということでした。


現実の私も、実は大学卒業後社会人3年目くらいまでは、ほぼ毎日「上下真っ黒」に近い服装で過ごしていました。
その頃は、カラフルな色彩の服を着る気になれなかったのです。アクセサリーもほぼ無しでした。
(その頃はアクセサリー作りもやってなかったのです。人生で一番「ものづくり」をしていなかった時期です)

多分、その頃の私は「社会人というものに適用する」ということに手一杯で、「自分の個性を発揮する」というような余裕が全くなかったのだと思います。


大学を卒業して就職する時、何よりもまず「社会人としての自分をしっかり構築せねば」と思っていました。
もちろん業務の専門知識を身につけることは大切ですが、何よりもまず学生から「社会人」という存在にしっかりシフトすること。
社会人としての自分をしっかり作り上げること。
それが一番大切だと思っていました。
やっぱり「学生とは決定的に違うものなのだろう」と思っていたのでしょうね。

そんな風に、社会人3年目くらいまでは「社会人としての基礎をしっかり作る時間」だったような気がします。
その時いた会社だけでなく「どういう場で働く場合でも基礎になるもの」を構築する時間。そういう基礎を身に付ける時間。
そういう時間だったような気がします。


そして、その期間は本当にカラフルな服というのが全く着られませんでした。
ほぼモノトーン。そして、この頃はものづくりにも全く取り組めませんでした。
人生で一番ものづくりに関わってなかった時間だった気がする…。

で、3年経ってようやく「何となく基礎は身に付いたかも」という気持ちになれたのです。
(と同時に「倦怠感」にも襲われたのですが。いやー「慣れ」って怖いですねー)
そして、段々とカラフルなものを身につけられるようになってきて、ものづくりにも復帰したのです。


後にオーラソーマなどのカラーセラピーを習った時に、黒については「個性を見せない」みたいな意味もある、と習いました。
自分の個性とかよりも「職業的専門性」などを全面に出すべき場面などでは黒は効果的、とかそういうことを習いました。

それを聞いて、自分が社会人3年目くらいまでほぼモノトーンで過ごしてきた理由がわかった気がしました。

その3年間はやっぱり、自分の個性が云々とかよりも「社会人としての基盤構築」な時期だったのだと思います。
そういう気分には、きっと「全身黒」みたいな装いの方が合っていた。
だからあの頃は毎日黒ばっかりで過ごしていたのだと思います。

 

…思い出話が長くなってしまいましたが。

「理科系の大学に通学している」という夢で「全身真っ黒な装い」だったということはつまり「今はまだまだ数学の教科書的基礎を学ぶ時期」ということを表しているのだろうなーと思いました。
とにかく基礎をじっくり学ぶ時期。
高校数学、必要ならば中学数学、あるいは小学校の算数にまで戻ってでも基礎をみっちりやる。
あるいは、高校までの数学教育では省略されているけれど、実は基礎でもある抽象度の高い論理的な部分・厳密な定義の部分とかに頑張って取り組んでみる。
今はまず数学においてそういう時期なのだろうなーと思いました。

自分であれこれ考える…、というよりもまずは先人が積み重ねて来た数学の基礎理論みたいなことをなるべく謙虚に学ぶ。
そういう時期なのだろうなーと思いました。


現在数学に情熱を燃やしている私ですが、何しろ大学は心理学出ですから、「夢の意味するところ」についてはできるだけみちっと考えてみたいのでありました。
そして「今はまず謙虚に数学の基礎を学ぶ!」と改めて思った次第なのでありました。


…と言っても、このブログで「音楽と数学」「数学と文様」について思うことなどいろいろ書いて行っちゃう予定なのではありますが。
基礎を謙虚に学びながら、そういうことも書いていこうということです。

 

とにかく、「まずは謙虚に地道に数学の細かい基礎部分をみっちり勉強!めんどくさがったりサラッと流したりしないこと!」と自分に言い聞かせながら数学の勉強を頑張ろうと思います。